人の暮らしに定着し過ぎて
当たり前のように身の回りにある
「数」について
今日は触れてみましょう。
2月はコペルニクスの誕生月でもあり
ガリレオの第一回目の宗教裁判の月であり
ドミニコ派の修道士でもある
ジョルダーノ・ブルーノがコペルニクス提唱の
地動説を訴え続け火あぶりの刑になった月です。
数のはじまり
”数ってどうやって生まれたんだろう・・・”
獲物や木の実など生きていくために必要な
”個数”を表すものが起源だといわれます。
いわゆる、「1匹、2匹、1頭、2頭…。」
といった「 1 2 3 4 5 6 7 8 9 」自然整数。
古代文明の数字とは人に伝える為に
記録するための”記号”のようなもの。
その記号は各国や文明で異なりました。
credit : F. D’ERRICO

Wikipediaより画像引用
時代や文明の発展と共に”個数”が増えてくると
その表現方法にも困ってきた人類。
そして”個数”以外の、長さ、重さ、広さなど
「大きさ」という概念が誕生し人類は
個数と単位という壁に直面します。
古代の人にとって、苦労して狩猟した
大きな獲物1頭と小さな獲物1頭を
「同じ1」にされる事は苦痛だったでしょうからね。
同じ1でも価値が違いますからね。
「数」というものは基本的に
自分たちの目の前に姿、形あるものを
あらわす表現方法でした。
エジプト、ギリシア、メソポタミア…
数々の文明で学問が発展し進化してきました。
ローマ数字は今でも時計表示で使用されています。
そして、全人類が共通して今使っているの数は
インドで紀元前に使用されアラビア人が
ヨーロッパで広めたとされる「アラビア数字」
0~9の数字の事です。
「無」を表現することの哲学論争!!「ゼロ」の偉大なる役割
古代から有る物を数えそれを表す手法として
誕生した数は、個数や大きさ(長さ、重さ、広さなど)の
桁が大きくなるほど、それに伴う絵や文字が増え
大変になっちゃいました。
そこで「位取り」としての「ゼロ」は
紀元前から存在していました。
もちろん、インドのアラビア数字でも「0」はあった。
先述したように、「有る物が数」な時代なんです。
中世ヨーロッパでは「ゼロ」は何も無いのだから
そもそも数ではなく、奇数でも偶数でも
何ものでもない論争は1000年近くも
議論されていたそうです。
ゼロ記号にギリシャ文字の「Ο(オミクロン)」を
当てましたが、このオミクロンは
今のアラビア数字の0(ゼロ)とは全く違います。
それは何故かというと数学という概念ではなく
ギリシャ、ローマなどヨーロッパに根付く
宗教や哲学が根底にあるからのようです。
「すべては地球を中心に動き、宇宙には
虚空や真空が存在する余地はない」。
「ゼロは無神論だ!」と処罰された時代だからです。

「コメンタリオルス(Comentariolus)」太陽中心説(地動説)を唱えたコペルニクス

ローマ教皇庁検邪聖省から地動説支持に伴う異端児裁判を受けるガリレオ
聖書の中に書かれていることが全て
空虚や無を受け入れないヨーロッパに対し
「創造と破壊が永遠に繰り返される」
という思想が東洋には根付いていました。
ヨーロッパより遥か以前の635年頃には
インドの天文学者ブラフマグプタが
数学や古代物理や幾何学な具体的なものではなく
抽象的に考え、数字は正(+)と負(-)の
両方向に好きなだけ並べられると唱えました。
数列の正と負の境界にあるのが「ゼロ」といい
「正の数にゼロを足すと正、
負の数にゼロを足すと負、
ある数にゼロをかけるとゼロになる」
ゼロの加減乗除のルールの発見に成功しました。
遅れる事、約1000年、ルネ・デカルトにより
ヨーロッパにようやく「負の数」が
受け入れられ始めました。

ルネ・デカルトイメージとデカルト座標
もちろん、デカルトさんだけが数学の革命人
ではなく、1500年から1600年代は
フェルマー然り、メルカトル、パスカル
ニュートン、ライプニッツなど他にも
沢山いらっしゃいますが「ゼロ」は
➀空位を示す記号として
②起算点や基準点として使用
③何も存在しないことを表す数
④正と負の数を分けるニュートラルな存在
として役割りが挙げられます。
ゼロが誕生しなければ
特に③④の概念が誕生しなければ
無限小を理解するのは困難だったでしょう。
ゼロの誕生は現在の科学技術の発展に
多大なる影響がありました。
ゼロってただゼロ=無ではなく限りなく無に等しい
0.0000000000000000……………………1もあります。
真空エネルギーの宇宙を探るために
質量ゼロの光子を知るために
数学の発展は必須でした。
数にも種類があるってよ
私たちは単に数字といいますが
学生時代にはもっと別の言い方をしていましたよね。
「数」にどのような種類と特性があり
どのような数学的な問題解決に役立っているのか
少しみていきましょう。
私たちは簡単に数といいますが
いろんな形態の数があって
不気味なくらい複雑な「数」が
どうしてこの世に生まれ
生物はダーウィンの進化論然り
絶滅と進化を繰り返すなか
数はなぜ滅びないのかなと思う時があります。
この宇宙を支配するもの
”パパに習ってみた”シリーズの
橋本 幸士先生の本を読んでいると
紙をめくるのがとてもワクワクします。
そして、「宇宙は数式でできている」という
本を読んでとても感銘を受けた事があります。
法則は宇宙のどこに刻まれているのか
という一文を目にした時、脳内が
ゾクゾクした事を鮮明に覚えています。
複雑な世界に隠された単純な摂理
単純な法則から⽣まれる複雑な世界
世界は法則に従っていて
観測可能な宇宙には限りがある。
宇宙の始まりのその向こうには何がある?
別宇宙があるのか?
数多ある宇宙の中の1つなのか?
法則は数学で正確に記述可能なのか?
宇宙と物質の基礎方程式を知っていても、
例えその数式が宇宙におけるすべての時間発展を
支配していると知っていても
それを実際に宇宙空間の一部を支配するには
人類はまだ程遠い。
でも今のところ宇宙をはじめとする森羅万象は
数式によって厳密に書くことができています。
この宇宙、そして物質と力は
究極のところ何からできているのでしょう?
今、宇宙を支配する数式は
この先修正、もしくは追加される
可能性もある100%完全体ではないですが
今の人類の英知の全てが詰め込まれてます。
こうして考えてみると「数」というのは
生まれるべくして生まれたのか
前の宇宙にも存在していて
同じく何らかなの生命体が問うていたのか
分かりませんが「神の数式」と言われても
過言ではない何かがあると感じます。
今回は終わりのない「数」について触れてみました🍎
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